一日も、一年も、一生も。
私たちの生きる時間は、大きさも色もさまざまな巡りで溢れています。
ひとつの巡りを終えたら、次のひと巡りへ。
ひとつの巡りの中で、小さな巡りがいくつも起こっていたり。
巡りはくり返し、重なりあいながら、人生は満ちていくのでしょう。
これは、沖縄県竹富島在住の写真家・水野暁子(みずのあきこ)と、
神奈川県の西湘地域を拠点とする文筆家/映像作家・関根愛(せきねめぐみ)による
往復書簡『あきことめぐみの、旅のひとめぐり』。
旅の途上で出会う人びと、風景、すてきなもの、時間とのさまざまな巡りあいを、
言葉と写真を通してささやかに伝え合います。
竹富島のあきこさんへ
こんにちは。往復書簡、私からは一便目ですね。南の海にぽっつり浮かぶ、あの一年じゅう花の咲いているちいさな島にいるあきこさんへこうして手紙を書けること、とてもうれしいです。先日、あきこさんが私の暮らす西湘の里へはるばる来てくださって、一緒にたべた地産の魚料理店、ほんとうにおいしかったですね。あれは海のそばでしたけど、山のほうにもおいしい十割蕎麦店、みつけました。三色せいろが名物です。柚入りの真っしろで繊細なお蕎麦、こんどあきこさんにもたべてほしい。
今日、しごとついでに倉敷へやってきました。とそのまえに、岡山で新幹線を降りて、腹ぺこのお腹をおとなしくさせたんでした。車内ではお昼をすぎたころ、京都や新大阪から乗りこんだ人たちが次つぎにお弁当の包みを開けていました。ああ、いい匂い。どんどんお腹が空いてきて、お昼ごはんへの気持ちがぐんと高まりました。
私、特技がひとつあります。どこにいてもおいしいご飯屋さんをみつけられること。しらない土地でも、マップをなんとなく眺めていると、いいものを出しているところがすぐにわかります。歩いていても、すぐにぴんとくるんです。あきこさんは、おいしいご飯屋さんというと、どんなところを思い浮かべますか。私はあえて言葉にするのもなんだけれど、もちろん高級なお店のことではないし、おいしいもただのおいしいではない。たとえば運ばれてきたご飯の気が、いいところ。土地のものをつかっていて、つまり食材が新鮮なところ。それから、料理をする人の心が料理にあらわれているところ。それはかれらの矜持もふくんでいる。さいごに、料理する人もお膳を運ぶ人も、店にかかわる人みんなが、ほがらかにでもそうでなくてもいいけれど、じぶんの幸せがなにかを知っているところ。そういうところでたべる料理は、生きることを肯定してくれます。
岡山駅のそばで、ミレンガという南インド料理屋をみつけました。まずはダル、サンバル、セサミ&ピーナッツの三つのカレーセット。ぱらぱらしたお米がお椀型になっているのをほろほろくずして、小鉢のカレーを大切な庭に水をやるみたいにひと匙ずつピャっとかけて、パレットみたいにします。私はこれを、山を海にする、と呼んでいます。それを、ぐちゃぐちゃにしてたべるのが本場なんですって(まだ手づかみではたべたことがない…)。
そこにドーサも追加。食いしんぼうです。あきこさんがきっかけになってくれて訪れた石垣島の、南インド料理ケララキッチン。あそこ、忘れられません。しんしんと料理をするケララ出身のシェフと、黙々とたべる客だけがいて、深海の底みたいだった。私、ドーサが大好き。小麦がたべられないから、豆と米でできているドーサ、つい頼んじゃいます。香ばしくて、すっぱくておいしい。卒業証書を思わせる、筒状に巻かれてあるんですよね。私、東北の震災の年に大学をでました。卒業式はひらかれず、卒業証書をもらいに行く日があったけれど、行かなかった。そんな紙切れもらっても、とつよがったからです。そんなこと思いだしながら、筒状のドーサを端っこから夢中でちぎっては、くるくる丸めて、カレーにちょんとつけて、むしゃぶりつきます。ゆびは油でぎとぎとして、でも光ってきれいで、とまらない。スパイスがふんわり香って、血管のなかを踊るように巡っていきます。
ミレンガ、すてきな店でした。いい料理屋さんは、味だけでないものを沢山くれます。ちょっとした目配せだったり、ほほ笑みだったり、茶目っ気だったり、あるいは壁に貼られた心温まる手書きメモだったり、手作りのテーブルクロスだったり、サーブするときの手つきの柔らかさだったり、たべものへの真剣なまなざしだったり、それはもういろいろです。やっぱり、生きていることがうれしい人の作る料理をたべられることは、幸せなことです。
ミレンガが入るのは、岡ビル市場という、昔ながらの商店があつまった屋内の一角です。鮮魚店、漬物店、酒店、青果店、惣菜店がならぶ、陽のあたらないせまい通路を歩いていたら、ふと会津若松の祖母の家の匂いがしました。祖母の家は、江戸時代からつづいた家具屋で、昭和までは家具職人さんたちが住み込みではたらいていて、にぎわっていたそうです。嫁入り道具というものがあった時代ですね。りっぱな桐箪笥とか。どこの家もこぞっていい家具を作らせるので、店も繁盛したみたいです。叔父の代で、やむを得ず店じまいしました。祖母も祖父も、もうこの世界の人ではなくなってしまった。その家具店と母屋をつなぐ、祖母が漬けていた梅干しの瓶や古い箪笥なんかのごちゃごちゃ置いてある暗い廊下があったのですが、そこを通ったときにする匂いがぷうん、としてきたんです。岡ビル市場の片隅で。五感のなかで、匂いは別格に思います。ほんの豆つぶほどのなつかしい匂いで、そのときのそこにたちどころに行ってしまえる。胸があつくなりました。あきこさんのなつかしい匂いも、こんどおしえてください。
(次のページに続く)
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