
末世さんは、竹富島には不思議なご縁を感じると話してくれた。初めて観光で竹富島を訪れたときのこと。末世さんが自転車で島を観光していたら、頭の中にポンっと竹富島の地図が浮かんだと話してくれた。いつもはびっくりするほどの方向音痴なのに、不思議と迷うことなく、「そこを曲がれば郵便局」、「自分がどの道にいるのか」などが自然と冷静に分かったそうだ。
竹富島の人は、島に移り住む人や、何度も島を訪れるような人に、「島に呼ばれたね」と言う。
竹富島に暮らしていても、誰もが神事に関われるわけではない。未世さんの話を聞いた時、もしかしたら、末世さんは竹富島に呼ばれたのかもしれないと思った。


そんな末世さんが暮らす奈良の町中に静かに佇む古民家の工房は、末世さんの仕事の道具や作品で満たされていた。吹きガラスの窓から差し込む光は柔らかく、作業テーブルの席が面する古い木枠の窓は、緑の葉が茂るひとつの景色をフレームしているようで、美しかった。



娘は深妙な顔つきで、末世さんにワークショップで作る革バッグに使用する革について、質感や色の違う革を見せてもらいながら、説明を聞いていた。
「革は使い込むほどに育っていくんだよ。革の色も、手の脂や、服や体などに擦れる摩擦で磨かれて、表情が変わっていくんだよ。ほらこのエプロンのポケットは、この革と同じものだけど、長年使い込んでいるから色も質感も全然違うでしょ」と末世さんは使い込まれたエプロンの革ポケットを愛おしそうに撫でながら話してくれた。


娘が革バッグを作っている間に、末世さんの生い立ちや過去の結婚、家族のこと、仕事とどのように向き合ってきたかなどについて話を聞いた。
今回、末世さんが工房で聞かせてくれた家族の話、結婚していた頃の話は、胸がひりひりと痛むような過酷なものだった。ひとりで独立して革細工を始めるまでに、いくつもの試練や壁を乗り越えながらも、何かに導かれるようにして現在に至る末世さん。その在り方は、自然なのだけれど不思議なエネルギーに突き動かされているようにも感じた。
末世さんの凛とした佇まいからは、過去の恐怖や悲劇を感じるどころか、一緒にいるとどこか癒されるような優しさがあり、心がゆるむ感覚を覚える。それは、末世さんのゆったりとした喋り口調から来るものなのか、朗らかで柔らかい笑い声からくるものなのかは分からない。


娘は、悩みに悩んだ結果、鮮やかな緑色の革を選び、末世さんのアドバイスを受けながら肩からかけられる素敵なバッグを作りあげた。
最後に、自分のマークを入れるよう末世さんに提案され、「今日の日付を入れたいです」と答えた娘は、ハンマーでトントンと数字の刻印棒を叩いてその日の日付を刻印した。
最後に、末世さんの作品が並ぶ部屋で、末世さんのことを撮影させてもらった。

未世さんが語る言葉や、仕事に向きあう姿勢や、工房や作品から見える世界観から、作ることは喜びであり、人との出会いをつなぐものであり、末世さんという存在を証明する行為なのだと感じられる。
この世にはもう居ない、末世さんのお母さんのクリスチャンネーム、Therese(テレーズ)という名前をまとい、未世さんは今日も作りつづける。
嬉しそうに出来上がったカバンを眺める娘の横顔を見ていたら、娘がトントンと日付けを刻印したように、私の心にも確かにこの日のこと、この旅のことが刻まれた。

今回のエッセイが、往復書簡「旅のひとめぐり」にて、私からめぐみさんへ送る最後のお便りになります。めぐみさん、この連載は、めぐみさんに宛てた私からのラブレターのようなものです。旅先で、めぐみさんのことを思いながら過ごした時間が詰まっています。
読者のみなさまとは、連載の中で一緒に旅をした仲間のような、同士のような関係だと勝手に思っていました。これまで読んでくださりありがとうございました。そして、この連載を可能にしてくださったTABITOTEの小林さん、ありがとうございました。
私の旅はこれからもつづきます。船に乗ってちょっとそこまで隣の島へ、電車に乗って山並みの向こう側へ、飛行機に乗って言葉の通じない遠い国へと、心が踊る光景と出会うために。
では、「行ってきます」ひとりだけど、決してひとりじゃないってことに気づく旅へ。
Therese 夏山未世
奈良に拠点を置き八重山諸島の竹富島に行ったり来たりしながら、旅と日常の間にあるもの、未来に出逢う記憶のカタチを主に革を用いて作っています。
Thereseの商品はTABITOTE STOREからご購入いただけます。
1 2








COMMENTS