名残の底冷えの中、そこかしこから花信が届く。
山茶花、椿、蝋梅に水仙。そして沈丁花の香が色濃くなるのに誘われ、花といえばの桜の蕾が膨らみ始める。やわらかな風が路地に吹き込む頃、天気予報とにらめっこしながら命綱である灯油の最後の宅配をいつにすべきか使い切るまでのペースを思案する。開花のニュースに花心が湧き、いまかいまかと花時を待ち望みながら、花より団子の気持ちを抑えて花冷え対策に余念のない花客になる…………なんてことは、まったくない。鴨川や高瀬川の川べり、岡崎の疏水や哲学の道、円山公園といった社寺以外の花見処はどこもかしこもとにかく寒い。水が近いから当然だろう。
寒さを押してまで屋台を目当てに出かけたり、弁当を用意して場所取りをしたり。そういった労力を払わずとも、京のまちには随所に桜が咲き誇る。取材先への移動の途中、行きつけの店からの道すがら、校門前や校庭(注1)でも桜花を間近に愛でる機会が多く、ことさら花見の予定を立てずとも葉桜までの移ろいが目の保養となってくれるのだ。
全国各地で目にする桜の中でも、古都のそれが格別とされるのは古から重ねた年輪ゆえ。平安時代、貴族たちの間で邸内に桜を植えるのが流行り(注2)、鎌倉時代には後嵯峨上皇が嵐山に吉野の山桜を移植して桜狩りの宴を催し、その後、安土・桃山時代になれば太閤・豊臣秀吉が大規模な「醍醐の花見」を行ったことからも、京の人々がいかに桜とともに生きてきたか分かろうというもの。
花とは切っても切れない都。割烹のカウンターでいただく八寸を彩る桜の蕾に早春の訪れを知り、花びらを意匠に取り入れた京菓子に春の盛りを感じ入るとき、四季折々のささやかな変化が身近に寄り添う場所に住まう贅沢を噛み締めずにはいられない。別段、大層なことをせずとも桜は存分に愛でられる。花見ばかりは、ハレではなくケの悦びでいいじゃないか。
たとえば、妙蓮寺(注3)。宗祖である日蓮聖人が入滅された10月13日前後からお釈迦様が誕生した4月8日頃にかけて咲く不思議な品種「御会式桜(おえしきさくら)」は、かの新選組の面々もその儚さに見惚れたんだとか。滾るエピソードだ。珍種といえば、オオシマザクラとヤマザクラの特徴を有する「容保桜(かたもりざくら)」と命名された樹を有する京都府庁旧本館中庭(注4)もふらりと訪れたい場所。
今日も今日とて、京の春を感受するため、「花盗人は風流のうち」(注5)という言葉を胸に花逍遥と洒落込もう。「自由と書物と花と月がある。これで幸せでない人間などいるものだろうか」(注6)、然もありなん。そこに美酒と酒肴が加われば完璧だ。
注1 中学高校はもちろん、大学の多い京都は「学生の街」としても有名。卒業式・入学式に欠かせない国花に束の間の花見を愉しむのも一興。10年ほど前から高校の教壇にも立つ身としては、毎春おこぼれに与っている。
注2 紫宸殿の南階下東方に植えられた「左近の桜」が代表格。当時は、柳と混ぜて植えることで生まれる白と緑のコントラストが好まれた。
注3 徳川家康が賛を寄せたといわれる妙蓮寺椿が有名な花の寺。枯山水の「十六羅漢の石庭」も見どころ。
注4 「容保桜」は、2010年に造園家・佐野藤右衛門氏(嵯峨野にある造園業「植藤」の当主。桂離宮や修学院離宮の整備など、多くの庭園を手がける。日本全国のサクラの保存活動に注力し、「桜守」としても知られる)により命名。円山公園の初代「祇園枝垂桜」の孫にあたるシダレザクラをも含む7本の桜がある府民憩いの場。毎年3月下旬~4月上旬には「観桜祭」(入場無料)が開催される。
注5 美しい花をつい手折ってしまうのは風流だから咎めるほどのことでもない、という意味の成句。とはいえ、「桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」という言葉もあるので、くれぐれも桜の枝への手出しはご無用に。
注6 19世紀に活躍した英国の劇作家オスカー・ワイルドの名言。代表作は、「サロメ」「幸福な王子」など。