夏の一番暑い時期、空が抜けるように青く高い日には、決まって思い出すことがある。
乾いた海風が大地を走るシェットランドで、その日、久しぶりに夏空に恵まれた。
その夏中、ホームステイをさせてもらっていたシェットランド、ヒルズウィックのワイルドライフサンクチュアリの家では、野生のアザラシの保護をしながら、夏の間は、観光客相手に食事と飲み物を提供するベジタリアンカフェを営んでいた。
同じく、ホームステイをしていた各国の学生たちの中には、料理の手伝いやウエイトレスの仕事を手伝っていたようだが、僕を含め、男性陣はというと、もっぱら重労働がメインで、広大な庭の草刈りや、動物たちの世話、仕入れた食材たちの運搬などを任せられていた。
目の前には、ビーチがあり、見渡す限り草原が広がるその場所は、“サンクチュアリ”の名に相応しく、楽園の様な場所にあった。
丘に登れば、シェットランドの大地が剥き出しとなった崖が見え、その下には荒々しい海がどこまでも広がっていたのを思い出す。
話は変わるが、スコッチウィスキーはお好きだろうか?
スコッチウィスキーと一口で言っても、蒸留所の場所によって味は様々ではあるが、スコッチウィスキーを語る上で良く耳にするのが “ピート香”ではないだろうか。
芳醇なスコッチウィスキーの香の中に、独特で燻されたスモーキーな香りがそれだ。
スコッチウィスキーを作る工程で、水に浸して発芽させた大麦をピートを使い乾燥させる際、ピートの香が移り、あの独特なスコッチウィスキーのピート香となるようだ。
では、そのピートとはどんなものかご存知だろうか?
ピートとは、十分に分解されない植物やコケ類、草や灌木などが堆積して出来たもので、日本語では泥炭(でいたん)になるそうだ。
という僕も、その日までピートなるものがどんなものなのかを知らないうちの一人であった。
久しぶりに夏空に恵まれたその日、いつもの様に身支度を済ませ外に出ると、「今日は、ピートを掘りに行くぞ」とオーナーは言った。
何のことだか分からないまま乗せられた車の中で、初めてピートがどんなものかを教えてもらった。木々の少ないシェットランドでは、厳しい冬に暖炉にくべるのは薪ではなく、このピートだと聞いた。
もちろん、今では、ガスや電気があるのでそればかりではないらしいが、古くから暮らす彼らの中にはまだまだピートを使っている人は少なくないとのことだ。
着いたのは、広大な泥炭が広がる場所で、所々が掘られて土が剥き出しになっているところがあった。
聞くところによると、この場所はピートボグと言い、ピートを切り出す為だけに土地を所有している人がいるとのことだった。
僕たちは、ピートを切り出す為の専用のスコップ(レンガを一回り大きくしたサイズにピートを切り出せる様、先が四角い形をしたスコップを想像して欲しい)で切り出し、まだ湿った状態のピートを乾いた海風が当たるように組み重ね乾燥させていく作業を続けた。
見渡すと、すでに乾燥させてあるピートが、そこら中に重ねられていて、水分が抜けて小さく固くなったピートの表面は植物の根などで密集していた。
暖炉にくべることが出来るピートになるまで、3、4ヵ月の乾燥が必要な為、ピートを切り出す作業は夏中の大仕事の様だった。
オーナーいわく、「この切り出したピート一つ分は、約1000年近い時間が掛かって堆積して出来たものだから、大切に扱え」とのことだったが、壮大な時間と伝統的なピート作りに携わることが出来ていることを大変貴重に感じたのを覚えている。
おそらく、ピート香を知るスコッチウィスキー好きな人でも、実際のピートを見たことのある人は限られるだろう。ましてや、そのピートをシェットランドの地で切り出したことのある日本人は僕だけではないかと思っている。
スコッチウィスキーのあの香を嗅ぐ度に、あの夏の乾いた海風を思い出し、貴重な経験が出来たことに一人悦に入るのである。
お時間があれば、是非シェットランドのヒルズウィックがどんな楽園の地なのかご覧頂きたい。もちろんスコッチウィスキーを片手に。
テキスト:垣本数馬
モノよりも、その向こう側にある物語に魅力を感じ、記憶の引き出しから、散文的な文章を綴る三流物書き。主に、“衣”を中心に、あれこれ書いています。普段は、東京・吉祥寺にて、仕立て屋を営む。1979年東京生まれ。2児の父。
イラスト:駒津ゆはり
趣味や時々お仕事でイラストを描いています。レトロなものや手作りのもの、日本の伝統文化、鳥やファンタジーが好き。
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