2017年10月7日からの3日間、岐阜県美濃市でちょっと変わったイベントが開かれた。「さじフェス Sajifest 2017 木の匙と杓子の祭典」である。
舞台は、岐阜県立森林文化アカデミー。林業や木工・建築などを教える専修学校だが、ここに全国から集まった140人の人々が、木を削りさじ(スプーン)の製作に挑んだのである。しかも講師陣には気鋭の木工作家3人に加えて、スウェーデンから世界的なスプーンづくりの第一人者(!)ヨゲ・スンクヴィストさんを招くという豪華なイベントだったのだ。
スプーンづくりの国際的イベントと言われてもピンと来ないかもしれない。だが、今やスウェーデンなど北欧諸国のほか、アメリカ、イギリス、オーストラリアと世界中でスプーンづくりがブームになって非常に裾野が広がっている。
「もともと北欧にはバイキング以来の木工の伝統があるんですが、1980年代からその復興が進んできました。それが21世紀に入った頃から世界中に広がったのです。今では各地で木工イベントが開催されています。なかでも暮らしの中で毎日使い愛着を持ちやすいスプーンやフォークといったカトラリーと呼ぶ食具づくりがブームになりました。日常の暮らしが自然から離れつつある中、身近な森の木を伐り出し、生活の道具をつくることに魅力を感じるんでしょうね。それが日本にも少し遅れて伝わってきたんです」
というのは、「さじフェス」を仕掛けた久津輪雅さん。森林文化アカデミーで木工を教えているが、スウェーデンで開かれた木工イベントに参加し、日本でも同じことがしたいと思って今回主催したのだそうだ。
定員の140人枠は、たった3日間で埋まってしまったという。年齢幅は20代から60代まで。参加者にはプロの木工家もいるが、大半はアマチュア。木工愛好家だけでなく、まったくの素人もいた。また女性も3割ぐらいを占めたという。
家具づくりのような本格的な木工はちょっと敷居が高いが、木片からスプーンを削りだすのなら比較的気軽に参加できるのかもしれない。また木のスプーンは軽くて口当たりもよく、一度使うと病みつきになる、という声も聞く。
日本でもバブル景気の頃に、工場で生産される家具とは違って木工作家の工房でつくられる家具が人気を呼んだ時代があった。それがいつしかより身近なカトラリーに移ってきている。最初はプロの木工作家がカトラリーづくりを始めたようだが、やがてアマチュアも自ら手づくりすることが静かに広がりだし,各地で講座が開かれるようになった。また日本にも木杓子などご飯や汁をすくう食具があり、木地師もいた。その伝統を取り戻す動きにもなっている。
カトラリーづくりは、教われば比較的簡単に行えるうえ、一日で一つを完成させられる。だからイベント向きだし、完成させた作品は持ち帰って自分で愛用すると楽しみも増す。作品もスプーンだけでなく、フォーク、バターナイフ、そして日本的なヘラ、しゃもじ……そして箸もある。さらに鍋敷き、まな板(カッティングボード)と種類を増やし、やがて小箱や皿、器などにも広がってきたようだ。
ここで注目したいのは、カトラリーづくりで行われる木工は、グリーンウッドワークと呼ばれる生木を使って行うものであること。
一般に家具や建築では、素材となる木材は乾燥させた板や角材を使う。ちゃんと製材していないと使えないし、木は乾燥とともに曲がったり縮んだり割れたりするので、素材をしっかり乾燥させておかないと作品を完成させられない。
しかしスプーンなど小物だと、生木の方が柔らかくて削りやすい。そのうえ伐ったばかりの生木のみずみずしさ、森に立っていた木がすぐに暮らしの道具になるというダイレクト感を楽しめるのだ。削った後に乾燥して歪んできたら、その部分に修正を加えることで完成させる。手で削る場合は、その歪みを活かしてデザインすることもできる。その方が世界で一つだけの自分のスプーンとなり、喜びも増す。そして完成後に十分乾燥すれば木は硬く締まる。
「さじフェスでは、講師に招いたスウェーデンのヨゲさんが立木の曲がったところを伐りだして、スプーンにする実演が行われましたが、大人気でした。一つ一つ形が異なりますが、木が育った形に合わせて道具を作るわけです。これが昔の人たちがやってきたやり方に近いんです。この作り方は参加者にとって驚きだったようですし、できた作品は量産品からは得られない魅力があると感じてもらえました」(久津輪さん)
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今回の催しは、木工文化を通じたスウェーデンと日本の交流という意味も含んでいた。参加者も両国の共通点を見出したり、違いに感心したりしたのである。
現代社会では、身の回りに本物の無垢の木はほとんどなくなってしまい木肌に触ることさえできなくなった。たとえ木の家に住んでも、柱や梁はクロスに覆われて木肌は見えない。フローリングやテーブルなどの家具も、実は合板の上に数ミリの薄い板を張ったものが多い。なかにはビニールに木目を印刷しただけの品もある。無垢の木を使った製品でも、表面には塗料が塗られていて触っても本物の木肌を味わえない。そんな中で木のカトラリーは、本物の木肌に触れられる最後のチャンスなのかもしれない。
世界的に見ると、日本は木工王国だそうだ。身近な木の品は減っているとは言うものの、木工作家や木工職人がまだまだ現職で多くいる国はあまりないのである。
今回のさじフェスでは、ホオノキの生木を利用したが、樹種の豊かさでも日本は世界で群を抜いている。ヨーロッパには使える樹木は十数種類しかないが、日本には何十何百という樹木が存在して多くが利用できる。それも色や硬さ、香り、木目など多様なのだ。ミカンやリンゴ、ウメ、モモといった果樹の木を利用したカトラリーも人気を呼ぶ。
しかも木工に欠かせない刃物、そして刃物を研ぐ砥石も、日本のものは世界的に優れていると有名なのだ。その切れ味と、刃を維持する繊細な砥石を求めて日本を訪れる海外の木工家も少なくない。
小さなスプーンから木工の裾野を広げていき、再び身の回りに木がいっぱいの暮らしをめざしてみるのもよいかもしれない。
テキスト:田中淳夫
日本唯一の森林ジャーナリストとして、自然の象徴としての「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで執筆活動を展開。
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