私の生まれた広島県福山市は、かつて絣の生産が盛んで地域の産業基盤となっていた。明治初期には、この地域で生まれた絣の美しさが評価され「備後絣」として全国各地に広まり、伊予絣、久留米絣と並んで日本三大絣のひとつに数えられるようになった。
小学校の授業では「福山市の伝統産業」として備後絣の歴史を学び、実際に博物館で備後絣に触れたことも懐かしい記憶だ。
かつては備後地方のあらゆる場所で生産されていた備後絣だが、現在では生産を行っているのは2社のみ。今回は、その中の1社「合資会社 橘高兄弟商会」の4代目代表の橘高昌子さんにお話を伺うことができた。
子供のころから備後絣を知っているとはいえ、製造元に足を運ぶことは初めてなので気持ちが高まる。
そもそも絣ってどんなもの?
備後絣と聞いても実際にどんなものなのかパッとイメージできる人は少ないのではないだろうか。
そもそも絣とは、織物を作る際の技法のことをいう。柄によって白く残す部分を糸でくくり、染め分けた糸を使用して織り上げることで模様を生み出すのだ。
備後絣の歴史は約170年前、広島県東部の備後地方で絣の技術が創案されたことが始まりとされる。昭和30年代になると、機械化、分業化が進み、備後絣はこの地域の主要産業へと発展した。全盛期には、全国の絣生産量の70%を占めるほどに至った歴史もある。
国産デニムに受け継がれる技術
絣の素朴な美しさは、経糸と緯糸の模様になる部分を糸でくくり、染料で染めることで生み出される。20以上の工程を経て丁寧に作られる多様な模様は、まさに職人の手仕事である。
古くから備後絣は主に農作業のための労働着として使用されてきた。そういった背景もあり、橘高兄弟商会がある府中市は、今もデニムなどのワーキングウェアの産地となっている。
「今の作業着はおしゃれだから。上下デニム素材で作業着にしている業者さんもあって、やっぱり最近はおしゃれな作業着じゃないと人が集まらんみたいでね。デニムは肌触りも良くて、日常着にできる点でも人気なんよ」と橘高さんは笑う。
備後絣を作る過程にある染色、機織りなどの洗練された技術は、昨今の国内のデニム産業にも受け継がれている。備後絣は、現代に生きる産業の礎にもなっているようだ。
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この夏、倉敷の店でもんぺを買いました。旅行先のホテルにて穿いてみたところそのはきごこちの良さと丁寧な縫製に驚きました。旅の途中ですでに広島に移動していたため、もんぺのタグに付いていた橘高さんに電話をしてしてみると広島市内に販売をしている店の在ることを教えてくれました。
松長染織工芸さんを訪ねたところ、素敵な女性が橘高さんの備後絣を熱く語って下さり、もんぺ以外の作品も見せていただきました。
何点か購入し、旅を終えた今、私の勝負服として頑張ってくれています。
ダラダラとごめんなさい。朝早くに目が覚めて、「備後絣」を検索したところ貴女様の記事があり、改めて橘高さんと松長さんとの出会いを感謝しているところです。
有り難うございます。