
美代子さんは自室の、ゆたかな庭のみえる小さな机で、仏像に向きあいます。この日、あたらしく大日如来を彫りはじめたところでした。机にひろげた、何十本ものさまざまな刀を、からころいわせて、使う一刀を都度えらびながら彫りすすめていきます。赤鉛筆で線を引いて、そのうえに刀を落とし、入れていく。ここの線はこの刀、こっちの線ならあの刀でと、こまかな使い分けがあります。美代子さんは今も、裸眼で本が読めるほど目がいい。毎日、パソコンでソリティアなどのゲームを、時には数時間もやったりします。刀さばきも、見事です。真剣で、力が入っていないです。

滋賀の山里で生まれ育った美代子さんは、おさない時から浄土真宗のおしえの中に育ち、信仰は身近にありました。おとなになって、今度、クリスチャンの洗礼を受けているんです。そのあと得度して、僧侶になった。ほかにも、いろいろな宗教をみて、まわって。「私、めちゃくちゃなのよ」とにかく勉強したんだそうです。
平和のヒント、ここにあり。暁子さん、そう思いませんか。私はうれしかったです。「だって真理は、ひとつしかないのよ」こまかいところは、だから、それぞれにべつの表現をしていていい。それぞれのいいところを、みんないいと思えればいい。どれかひとつに決めて、そこから逸れたらいけないなんて、無茶なんです。
教会で仏教の話をすると、仲間はずれのようにされたことも、時にはあったみたいです。美代子さんは、それにはくじけなかった。そのあと、親鸞を好きな牧師さんに出会い、背中を押されて、「これでいいんだ」と思えたそうです。なにかを信じたり、追求したりすることは、べつのなにかを否定したり、排除したりすることと、おなじではないはずですね。

美代子さんの家をあとにするころ、いちめんに夜の帳が下りていました。朝の十時におじゃましたのに、お昼もおやつもしっかりいただいて、あっというまの十八時です。娘さんの悦子さんが、駅まで送ってくださいました。
厚着のアウターを羽織りたいほど、空気がひんやりしています。ここには、ひと足先に冬がくるんだなあ、と思います。そして、私のいる場所に春がきても、しばらくは冬のまんまです。「一年の半分ほど、冬なんじゃないかしら」と、悦子さんが言いました。静かでながい冬のあと、美代子さんが彫っている仏像さまは、完成します。そのころお顔を拝みにきますといって、別れました。
約束のようで、そうとも違うもの。これまで出会ってきた人たちと、もともと約束はしていないけど、それでも会えました。この世界は、居るに値する場所です。あとから生まれてくる人たちにそう伝えたくて、これからも生きていくような気がします。
関根愛
文筆家、映像作家。書籍に『やさしいせかい』『ひとりでいく』『憶えている人』。他に、ひとりでご飯をたべる人々を撮影した映像作品及び自身によるパフォーマンス『ひとりで食べる/Eat Alone』、全国各地の高齢女性のライフヒストリーを記録する動画シリーズ『ばあばのおだいどこから』など。上智大学外国語学部卒。
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