坂の多い町
長野県の東信地方に、埴科郡坂城町(はにしなぐんさかきまち)という場所がある。町の中央を一級河川千曲川が流れ、周りを1000メートル級の山々が囲む。傾斜の多いこの町を少し歩けば、いくつもの違った景色を見ることができる。そんな坂城でつくられている野菜に、ねずみ大根がある。
ねずみ大根は中之条(なかんじょ)大根とも呼ばれ、古くから坂城の中之条地区で栽培されてきた。現在「ねずみ大根」として販売されているものはF1品種「からねずみ」として2004年に商品登録されたもので、一般的な大根より小さく、下膨れの形がねずみに似ていることからこう名づけられた。
歴史は江戸時代にさかのぼると言われ、一説には韓国のアルタリという大根が薬草として長崎から伝来し、献上されたことが始まりだとされる。辛味大根の一種でありながら、長野県工業技術総合センターの調査によれば、ねずみ大根は他の辛味大根に比べ辛味成分だけでなく糖も多く含まれていることがわかった。
ねずみ大根を守り継承する目的から1999年に設立された「ねずみ大根振興協議会」に、種まきから収穫までの過程を見せてほしいと連絡をとることにした。振興協議会のホームページを開くと、愛らしい「ねずこん」というキャラクターが出てくる。8月31日、ねずみ大根振興協議会の播種作業を取材させてもらえることになった。
種をまくこと
キーキーカラカラ。播種には、水に溶けるテープに種子が等間隔に入っているシーダーテープが使われる。前からシーダーテープ、後ろから殺虫剤が出る機械の音が畑に響く。振興協議会の畑にはゆるい傾斜があり、広さは40アール。播種の1ヶ月前に化成肥料と苦土石灰が散布され、3週間前にトラクターによる耕耘作業を経ていたため畑はきれいだった。感じたまま「きれいですね」と言うと、近くにいた人がニヤッとしてから「今きれいに見えるのは土をおこしているからで、土の中に残っている草がこれから復活してくるんだよ」と教えてくれた。
シーダーテープは地中1センチから数センチに埋めるため、機械を上から押しながら進めていく。雨でテープが溶け、順調にいけば10日ほどで発芽する。翌日は雨予報だったため、播種には良いタイミングだった。種と一緒に殺虫剤をまくのは主に「キスジノミハムシ」のためだという。幼虫が根を、成虫が葉を食べてしまうらしい。葉がなくなると光合成ができなくなり大根が育たない。大根をかじるとミミズが這ったような跡がついて出荷できなくなる。雑草とキスジノミハムシは、ねずみ大根農家にとって深刻な問題となっているようだった。
1時間半ほど作業をすると休憩時間になった。アイスとお茶が配られ、農道に腰をかけて畑や日々の生活のことを語り合う。自然の真ん中で時間がゆっくりと流れる。
隣に座ったのは長野農業農村支援センターの職員だった。坂城町の農業を取り巻く課題について、生産者と意見交換をしながら解決方法を探っている様子を楽しそうに話してくれた。改めて農作物が多くの人の手で守られていることを知った。農家の人たちにカメラを向けると、みんな快く撮影に応じてくれた。振興協議会に入っている人は、共有の畑とは別に自分の畑でもねずみ大根をつくっている。播種作業の合間に一人一人話を聞いていくと、それぞれに工夫を凝らし、こだわりを持って生産していることが伝わってくる。後日、2人のつくり手の畑を見せてもらうことにした。
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