海を越える備後絣の文化
現在では備後絣の存在は日本を超えて海外にも知れ渡っている。
備後絣がどうやって作られているのか、どんな歴史を重ねてきたのか、知りたいと思う人が橘高兄弟商会に足を運んでくることもしばしば。海を越え、ロンドンやフランスから視察に来たこともある。
あるフランスのデザイナーは、橘高兄弟商会の古くから残る作業場や旧式のシャトル織機など、代々受け継がれてきたものにひどく感動したそう。
「家族経営で長い間受け継がれ、今もまだ残り続けているのは日本ならではのことであり、日本にしかないものかもしれない」
橘高さんは備後絣にとどまらず、日本のものづくりの良さを伝えられたなら嬉しいと話した。
これからの備後絣
備後絣が生み出されている作業場を見せてもらった。年季の入った作業場の中では旧式の織機がまるで生き物のようにリズミカルに動き、絣の模様を生み出していた。それはとても神秘的な光景にも感じた。
今後も備後絣を作り続けることについて尋ねてみると「備後絣の生産が求められることがゼロになることはないでしょうね。ひとつひとつの作業はとても大変で手間暇がかかるのでどうしても量産はできないんです。家業であるからこそ続けてこられた。安い賃金だとどうしても働きたい従業員は集まらないので、今後続いていくかどうかは分かりません」
製造元ならではの「橘高さんところの柄」の生地を見せてもらった。かつては一般的だった小幅の生地は、今では製造していないのだそう。
「前に、ある人からお電話があってね。その家のおばあちゃんがどうしても気に入っているモンペがあるらしく、同じのを探しても全然見当たらないようで、うちに電話してきたんです。よく見るとかなり昔にうちで作られたものだったので、古い倉庫から昔作った似たモンペを探して手直しして送ってあげたんですよ。そしたらとても喜んでくれました。ここにある貴重な残り少ない“うちの絣”は、そういう場面で使います」
備後絣の産業はかたちを変えながらこれからも生き続ける。時に日本の誇るべき文化として、時にひとつの手仕事として、時に誰かの唯一無二の宝物として。これからも、どこかで生き続けて欲しいと思う。
協力:橘高兄弟商会
テキスト・写真:萩 ゆう
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この夏、倉敷の店でもんぺを買いました。旅行先のホテルにて穿いてみたところそのはきごこちの良さと丁寧な縫製に驚きました。旅の途中ですでに広島に移動していたため、もんぺのタグに付いていた橘高さんに電話をしてしてみると広島市内に販売をしている店の在ることを教えてくれました。
松長染織工芸さんを訪ねたところ、素敵な女性が橘高さんの備後絣を熱く語って下さり、もんぺ以外の作品も見せていただきました。
何点か購入し、旅を終えた今、私の勝負服として頑張ってくれています。
ダラダラとごめんなさい。朝早くに目が覚めて、「備後絣」を検索したところ貴女様の記事があり、改めて橘高さんと松長さんとの出会いを感謝しているところです。
有り難うございます。