「秋田美人」という言葉があるように、秋田には美人が多いとされている。その要因が、言わずと知れたブランド米を食していることにあるとしたらどうだ。同じく米どころとして知られる新潟にもまた、美人が多いということにならないか。
なぜ私がそのような考えに至ったのか。それは、近年注目が集まるイベントへの出店で新潟に行くからである。
昨年度の来場者数は2日間でのべ8千人だったということで、売り上げへの期待がふくらむ。新潟美人と出くわす確率も高まり胸もふくらむ。その後の展開次第では股間もふくらむかもしれない。
これはただの願望や妄想ではない。未来を予測し、望む結果へと導く”仮説思考”というやつだ。一流の経営者たる者、突然の出会いさえも予測し、胸の高鳴りや股間のふくらみをも制御して紳士然とふるまうべきだろう。
燕三条 工場蚤の市
仮説はともかく、出店するのは三条ものづくり学校で3月に開催される「工場蚤の市2019」。地元企業などを中心に、「あと一歩で商品にならなかったモノ」や、「工場の隅に眠っていた道具」などが出品される。高い金属加工の技術を持った事業者が集まる燕三条地域ならではのイベントであり、私にもおあつらえ向きなイベントである。
なにしろ、クラウドファンディングを終えて以降の私は、「画期的な新商品を作る」と宣言しては試作と挫折を繰り返してきたのだから。あと一歩どころか、二歩も三歩も及ばなかったモノなら売るほどある。
唯一無二の商品作りに燃えている時はいい。「あんなモノはどうだ。」「こんなモノはどうだ。」と四六時中アイデアを練ってエジソンにでもなったつもりでいる。しかし、凝りに凝った試作に明け暮れていると、次第にビジネス感覚を失ってゆく。
そして、「価格と魅力が釣り合っているかどうか」よりも、「画期的であるかどうか」ばかりに傾倒しはじめるようになる。もうこうなれば発明王としてではなく、客観性を欠いた変人の揶揄として使われる「○○のエジソン」と呼ばれるような状態に陥っている。
ある時、手間ヒマを惜しまない試作品を前にして、ふと冷静になる。「これに誰が何万円も出すんや、、、」と。間違いなく自分は買わないなと、自分で思ってしまうことに気が付く切ない瞬間が訪れる。
そうやって工場の奥まったところに、商品化に至らなかったモノたちが積みあがる貝塚とも呼ぶべき場所ができるのだ。そんなモノたちを堂々と販売できるイベントは、しばしば京都のエジソンとなる私にとってもありがたい。
(次のページに続く)
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