2022年6月。私は北海道・喜茂別町の廃校活用ゲストハウス、「雪月花廊」に宿泊していた。夕食後、宿のお母さん(カカさん)に高校で寮生活をしている長男(新ちゃん)からメッセージが届いた。それは約一ヵ月半後の7月22日が学校祭の一般公開日になったと知らせる内容だった。
カカさんは、「3連休で団体さんの予約があるから行けないな、、、」と残念そうにつぶやく。そのつぶやきを聞いた私は、学校祭行きに名乗りをあげた。私は新ちゃんを「キャッチボール友達」と勝手に呼ぶ間柄なのだ。
初めて雪月花廊を訪れたのは自転車で日本一周をしていた時である。家業の影響もあってか、彼は当時9歳ながらとても大人慣れした野球少年だった。学校から帰ってくると、「あっきー、野球しよ」と大部屋で寝転んでいる私をよく誘ってくれた。(私はその宿であっきーと呼ばれている。)
その慣れた様子は無職の大人に一定の見識を持っているとすら感じさせ、まだ人見知りの抜けきっていなかった私の精神年齢をはるかに上回っていたといえる。これがゲストハウス育ちということなのか。それでいて宿泊者が集まると人生ゲームの箱を抱えてくるという子どもらしい一面も見せた。
ともかくそれ以来、一年に一度は雪月花廊を訪れてキャッチボールも恒例行事にしていた。そんな新ちゃんはクロスカントリースキー選手として強豪校の「おといねっぷ美術工芸高校」で寮生活を送り、すでに3年生になっていた。
高校を卒業したら会う機会は減るだろうし、職人として作品展にも興味がある。同校が日本列島最北端の美術工芸高校であるというのも旅心をくすぐられるではないか。カカさんと新ちゃんから許可を得た私は、その場で翌月の飛行機を予約したのである。
翌月、新千歳空港に到着してカカさんに連絡をした私は、驚きの事実を告げられる。当時はまだ新型コロナへの警戒感が強かった。ゆえに学校祭の来場は保護者家族に限られ、さらに上限人数を設定しているため事前申請が必要だという。
カカさんは、「あっきーの名前で申請してあるから大丈夫。」と言っていたが、私には大丈夫と思えなかった。まずもって保護者家族という前提から外れている私は、誰よりも自粛すべき存在だろう。
その日の夕方、飛行機に乗る前に新ちゃんからもらっていた、「たぶん周りは保護者しかいないと思うから、兄の気分で」という連絡の意味がようやくわかった。「兄のフリをしていろ」とマイルドに伝えたのかもしれない。
すでに北海道まで来ているうえに申請もされているが、私は学校祭に行ってもいいのだろうか。保護者家族だけの場において、33歳という親とも兄ともつかない微妙な年齢の他人は浮きまくるに違いない。
迷いつつ一夜を明かし、安さがウリのレンタカーショップに行く。予約していた下から二番目にランクが低くて安い白の軽自動車を借りうけ、札幌から250㎞離れた音威子府(おといねっぷ)村を目指して走り出す。
(次のページに続く)
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