漆にひどくかぶれたことで、パリ娘の金継ぎ修行はしばらく中断となった。そして2週間後、彼女は元気な姿で現れた。処方された薬がバッチリ効いてグッスリ眠れたという。
早速、知人の知人がくれた金継ぎの仕事を再開。5つくらいに割れた陶器のマグカップの修復である。ここで予想していた質問が飛んでくる。
「留学生の仕事なのにどうしてそんなに料金が高いんですか。」というものだ。この時の見積もりは一般的な相場と変わらない金額を伝えたので、当然かもしれない。
だが、いくらインターンシップ生とはいえパリ娘が責任を持って何日も取り組む初仕事だ。彼女が金継ぎをするための材料代も、報酬の中から自分で購入するようにと伝えていた。その報酬がランチ一回分で消し飛ぶようなものではやりきれないではないか。
「留学生の作業とはいえ、この道50年の職人が責任を持って監督しますので。」などと説明して一応は納得してもらった。まったく、男気があるじゃないか。
しかし、一銭たりとも私の財布に入らない仕事でなぜこんな交渉をしているのかとすぐに嫌気がさす。「やってられるか!」と放り投げたちっぽけな男気は、走り去るトラックの荷台に乗っかり二度と戻ってはこなかった。
そしてパリ娘に提案する。「半年間の貴重な留学だから、報酬が低くてもたくさん金継ぎをこなす方が大事だと思うのだけど、どう思う?」と。我ながらこのような長文をどうやって英語で伝えたのだろうか。
だが意図するところは伝わったようで、「私もそう思う」という返事が返ってきた。こうなれば話は簡単だ。
SNSに「フランスからの留学生が一つ2千円くらいで金継ぎします。」と投稿したらば、何人かの知人が仕事をくれた。もう私の役目は、「大事な友人からの仕事だから、しっかりやってくれよ。」と兄弟子風を吹かせることくらいだ。
あとは放置して見守っていればいい。なにも私は、すべての責任をパリ娘に押し付けて楽をしているわけではない。放置されることで、「自分がしっかりせねば!」と責任感を持つ事に期待しているのだ。
弟子や後輩にはつい口出ししたくなるのが人情というもの。一方であれやこれやと指図されてやる気が削がれると、後進の成長に悪影響を及ぼしかねない。
ゆえに私はグッとこらえて口をつぐむ。放置する事とは任せる事であり、信頼する事でもあるのだ。だから私は出かけよう。パリ娘を置いて出かけよう。
するとある日、師匠である父が「ほったらかしにすな!」と怒ってきた。英語でのコミュニケーションが全く取れない父は、パリ娘と二人きりにされる事が気まずくて仕方なかったらしい。
(次のページに続く)
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