蜻蛉玉

光を通して色鮮やかに輝く蜻蛉玉。その美しさに思わず見惚れてしまう。大阪府泉州地域で和泉蜻蛉玉作りを受け継ぐ、山月工房の松田有利子さん、純一さんご夫妻にお話を訊かせていただいた。

地域の産業として

かつて、大阪府泉州地域で作られる蜻蛉玉は「泉州玉」と呼ばれた。中でも堺市以南では、地域一帯で蜻蛉玉作りが行われていた。職人たちは、蜻蛉玉を「玉」と呼び、棒状のガラスを専用のバーナーで熱して溶かし玉を巻く「玉巻き」の作業を専門とする職人は「玉師」と呼ばれた。

地域の農閑期には地元農家も作業に加わり、生業の一つとした。地域には玉師のほかにも、帆船や宝船、干支の動物などガラス細工を専門とする「細工師」と呼ばれる職人もいたそうだ。

泉州玉の起源は、言い伝えによると神功皇后の時代まで遡る。作られた蜻蛉玉は、玉すだれや数珠となり時代を彩った。その後、戦後の経済成長期には、全国の手芸屋に置かれるなど、問屋を通して全国各地へ流通したそうだ。

有利子さんの先代であり父である小溝時春さんは、まさに戦後の時代を生きた玉師だった。終戦当時、子どもたちは教育を受けることもままならず、生活のために働くことも珍しくなかった。当時11歳の時春さんもまた、その一人だった。近所の大人に声をかけられたことを機に、玉巻きをはじめた。

時春さんはとにかく仕事量をこなした。注文も販売も問屋を通すのが当たり前だった時代、職人たちは自分たちが作った物を、誰が買い取り、どこで売られるか、知ることはなかった。注文を受け、玉を巻き、問屋へ卸す。時春さんの玉巻きの速さと仕上がりの美しさは、まさに職人技だったという。

しかしその後、海外製の商品が流入し、問屋からの注文は激減。時代の流れと共に多くの職人が廃業へ。いつしか時春さんは、地域の歴史を知る数少ない職人の一人となっていた。

蜻蛉玉蜻蛉玉蜻蛉玉

玉作りに魅せられて

父が玉を巻き、母が糸を通し、出荷の準備をする。有利子さんは、物心つかぬ頃から、工房で両親と過ごし、その工程を見ていた。父のとなりで玉巻きを見るのが好きだった。

素晴らしい技術だが、今の時代に、仕事にするのは難しい。けれど、このままでは歴史も技術も途絶えてしまう。有利子さんは、まずは自ら販売してみようと、イベントやデパートの催事に出店。それを機に、和泉蜻蛉玉の魅力を伝えられるようにと歴史の学び直しをはじめた。

しかし蜻蛉玉に関する文献資料はほぼなく、実際に作られたものは全国各地に散り散り。そこで父と二人、歴史がわかる資料や昔使っていた道具は残っていないか、近所を尋ねて回った。蜻蛉玉につながる話があれば、府内でも府外でも足を運んだ。

気づけば、10年以上の年月が経っていた。時春さんが病床についたのは、それから間もない頃だった。「蜻蛉玉を残してほしい」という父の言葉が、有利子さんの意志を固めた。

蜻蛉玉

蜻蛉玉の中に広がる世界

蜻蛉玉の材料となる無色透明なクリスタルガラスは、「スキ」と呼ばれる。原料を入れる壺を溶解炉に入れ、3日かけて1400度まで温度を上げる。温度が上がったら、原料となる成分を入れる。

ガラスに色付けをする際は、出来上がったスキに、発色する成分を混ぜる。成分によっては、ガラスとして成形されるまでに毒を発するものもあり、吸い込むと命に関わるため、防塵マスクをしてのぞむ。

材料となるガラスが出来上がると、玉を巻く作業だ。束にした複数の棒ガラスを握り、カンテラという代々受け継がれるバーナーの火に当て溶かしながら、もう片方の手に細い棒を持ち、溶けたガラス巻きつけ、玉を巻く。

「火は生きものなんです」と有利子さんは言う。気温や湿度、同じ環境を用意しても、今日の火は様子がおかしい、そんな日がある。「何か変だなと思って作ってると、沢山割れるんです。おかしいなというのは、作りながら分かります。でも、どうしようもできない。火には、考えてもわからない何かがあるんだろうなと思います」。

有利子さんの作品と、時春さんの作品が並ぶ。「同じ技法で、同じ材料を使っても、雰囲気がちがうんです。父の作品は、ガラスの持っている良さを十二分に惹き出していると感じます。ガラスが内側から輝いてるんです。私はまだ父の域には達していない。死ぬまでにずっと技術を磨いていければ」。

有利子さんの作品は、可愛らしく優しい雰囲気を醸し出す。時春さんの作品は、深みのある色合いに男性らしさと迫力を感じる。蜻蛉玉一つひとつの小さな世界に、職人の個性が溢れ出る。

蜻蛉玉

蜻蛉玉を作る上で大切にしていることはありますかと聞くと、「玉の穴の小口を綺麗にすること」だという。「ここにバリ(歪み)が出ると、地肌を傷つける。玉そのものよりも、小口をなめらかに作ることを大切にしています」。美しさと使い心地、その両方を兼ね備え、使い手に身につけられた時、蜻蛉玉は本来の輝きを放つのかもしれない。

取材にあたり、何度か山月工房へ足を運ばせていただいた。前回来た時と今日、見ている蜻蛉玉は同じはずなのに、その日に惹かれる色や形が異なる。きっと数百年前を生きた人たちもまた、この輝きに惚れ惚れし、今日は何を身につけようか、迷ったにちがいない。

帰り際、一つの玉を手にした。澄んだ明るい青と緑のグラデーションが美しい玉だ。取材を終え、駅のホームで夕陽にかざし、その美しさにやっぱり見惚れながら、ビー玉が大好きだった幼少期を思い出した。今や働く身になって、ガラスの輝きに心躍る時間も、いつの間にか忘れていたなあなんて、懐かしく温かい気持ちになった帰り道だった。

協力:山月工房

テキスト:有木円美

農家レストランや農家民宿との出会いを機に田舎暮らしに憧れ、鹿児島県南大隅町に拠点を持つ。体験プログラムや民泊など都市農村交流をテーマに地域住民の皆さんと活動するかたわら、取材記事を書く。フリーライター。

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