ボロシリケイトガラスとの出会い
タイガさんがボロシリケイトガラスづくりをはじめたのは、23歳の頃。
高崎市内の服屋さんに置いてあるボロシリケイトガラスのペンダントを見かけ、その場で「つくりたい」と強く思ったのだそう。
その背景には、バックカントリーで訪れたネパールでのガラスとの出会いがある。
「若い頃はバックカントリーに熱中していて、冬になると毎年山にこもってはバックカントリーを繰り返していました。
22歳の冬、ヒマラヤの氷河でバックカントリーをするため、ネパールにしばらく滞在していた時のこと。カトマンズの街中をフラフラしていると、ショーウィンド越しにズラ~と並んだ、色とりどりのガラスパイプが目に飛び込んできて、うおーってもう興奮。
数百個にも及ぶ数のガラスパイプが並んでいて、いつまでたっても見るのにあきなくて。気づいたら、毎日そこに足を運んで、キラキラしたガラスを夢中で眺めていました。」
ネパールで出会ったこのガラスパイプが、実は、ボロシリケイトガラス。帰国してからも、ボロシリケイトガラスに惹かれた気持ちが忘れられず、高崎でボロシリケイトガラスのペンダントを見た時に「これしかない。絶対やろう」と即決したのだそう。
ガラス職人の道へ
「その頃はまだ、インターネットが普及しておらず、どうやって作り方を学べばいいのか全くわからずで…つくっている人も自分では見つけられませんでした。
そこで、ペンダントを販売していた服屋さんに相談してみたところ、千葉の柏にあるガラス工房を勧められ、そこでボロシリケイトガラスの講習を受けることにしました。」
タイガさんは、1ヶ月間のボロシリケイトガラスコースを受講し、週末以外ほとんど缶詰状態で工房に通いつめ、ガラスづくりの肝となる技術を習得した。
千葉に滞在中は、車の中で寝泊まりをして生活し、夜中になると不安から「本当に大丈夫なのだろうか」と考えることも少なくなかったという。
「ガラス工房でのコースを修了した後は、高知の自宅にボロシリケイトガラスの設備を導入して修練を続けました。
ラフティングガイドの仕事をメインに、ある程度の作品ができた時は、ラフティングガイド仲間に1000円~2000円程度で売りはじめて。そのうち、路上販売やイベントに出店するようになり、お店に置いてもらえるなど高知で販路ができていきました。」
2007年には、高知市で開催した初の個展も大盛況に終わり、自身で切磋琢磨している内に、高知でのボロシリケイトガラス職人としての地位は確かなものになっていた。
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