木のやつが欲しいんやけどな~
私がサラリーマン生活に別れを告げ、漆塗り職人である父の弟子となったのは27歳の頃、2015年の暮れであった。父の後継ぎとなったのは、男三人兄弟の中でも末っ子の私だけである。
職人の世界は経済的に厳しいという。仮に弟子をとっても、修行中に与えられる褒美はスズメの涙ほどとも、あるいはうまい棒一本に含まれる水分量ほどとも言われる。わが工房も例外ではない。ある時期を境に、家計の大黒柱が父から母の手にゆだねられたことを子供心にも薄々感じていた。
伝統産業とは広く知られているように、それぞれの工程を専門の職人が担う分業制が一般的である。高い技術力を結集できる一方、個人では仕事が完結しにくいという側面も持つ。モノづくりに没頭するのは職人の性分でもあり、景気が傾いてきても新たな仕事まで自ら作ろうとするのは稀なケースと言える。私の父もまた、分業制の中で一部分を担うエキスパート型の職人であり、新規ビジネスより伝統を重んじる農耕民族なのであった。
かくして、バブル崩壊頃に生を受けた私は、家族でファミレスに行っても比較的安価なものを選ぶという遠慮がちな少年時代を過ごした。職人のお財布事情を察している私であったが、「仕事は自分でなんとかすればええやないの。」と、後継ぎになることを決めたのである。まったくいい心がけであるが、会社員生活から解放されたいという理由が心の中の大半を占めていた。
弟子入り前の計画はこうだった。会社勤めを経て300万円ほどを貯金し、万全の体制を整えてから父の弟子に。惜しみない投資をした結果、異例のスピードでオリジナルブランドの立ち上げにいたる。今までの職人仕事の流れを覆すべく、華々しくデビューした商品は売れ行きも好調。モノを作るだけでなく、仕事そのものを作り出せる職人として揺るぎない生活を手にする。その結果、メディアにもひっぱりダコで一躍時の人に。「デキる男」のオーラを隠しきれず、道行く美女たちから注がれる羨望のまなざしを一身に受けとめることに。
それが実際はどうだ。弟子入り2か月が経過した時点で、投資などしていないのに手元に残された貯金はなぜか20万円のみ。漆にかぶれて顔も赤く腫れあがり、道行く美女たちに後ろ指をさされているような気がする。オリジナルブランドのコンセプトは決まっていたのだが、作るものが決まらないので踏み出しようもない。
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